日本聞一多学会設立趣意書


 昨年一九九九年、九月・十一月と二度にわたって聞一多生誕百周年記念学会が開催されたことは我々の記憶に新しい。更には、台湾においても同様の大会が開かれたとも聞いている。聞一多が国民党の凶弾に倒れてからもすでに五十有数年の時間を閲している。

 こうした現在、又、何故聞一多なのか。すなわち、中国の人々にとって、我々外国人研究者にとって、聞一多はどのような意味を持つのであろうか。思 うに、聞一多が古くて新しい、或いは洋の東西を問わない、普遍的な風格・広範な学風を持っているからであろう。二十一世紀を来年に控えた昨今、我々は、過 去を振り返り、将来を遠望する必要性に迫られている。それは、聞一多を研究することにより、中国の将来を見据えるとともに、我々自身の来し方行く末を考え ることと同義であると言って過言ではない。彼は、甲骨文字・詩経・唐詩・現代詩に至る幅広い分野を網羅する学識を有していた。そうしたものの中に、我々の 思索のヒントとなるものが無尽蔵に含まれているのではないのか。

 ただ、我々の研究は、群盲象を撫でるの譬えの如く、どうしても狭隘な専門性の桎梏が付きまとい、全体像を描くのに困難を来しかねないというのが実 情であろう。今般、志を有する者が相集い、歴史・文学、古代・現代といったそれぞれの領域の中に留まるのではなく、そうしたものを広く統合した分野とし て、日本における聞一多学会を設立すべきであるとの了解に達した。ここに趣意書を作成し、同好の士を誘掖し、設立を図らんとするものである。

 ついては、こうした我々の趣意にご賛同の皆様には、是非とも会員に名前を連ねて戴きたくお誘い申し上げる次第である。