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日本聞一多学会第一回春季大会

2009/01/21 16:16 に 日本聞一多学会事務局 が投稿   [ 2009/01/21 16:25 に更新しました ]

二〇〇〇年六月九日(金)二松学舎大学本館二階会議室

研究発表
  • 聞一多と『詩経』 ――十年間の詩経研究史(一九二七~一九三七年)――
    牧角 悦子(二松学舎大学)
  • 聞一多における花
    江川 静英(青森大学)


第一回秋季大会研究発表要旨


聞一多と『詩経』 ――十年間の詩経研究史(一九二七~一九三七年)――

牧角 悦子(二松学舎大学)

中国本土において聞一多は、愛国の闘士として教科書に登場し人々に知られている。日本では、同時代の郭沫若を知っている人はいても、聞一多を知るものは 少ない。中国学に関わる人の中では、唐詩や神話や或いは民俗学の分野での業績を知る人と、格律を重んじる新しい現代詩を残した詩人としての側面を知る者に 分かれる。
 新しい中国の、文学と学問の夜明けの時期に、その双方の分野に渉って豊かな才能を発揮した聞一多の生き様に触れるには、やはり同じように詩作と古典研究 という両分野に渉って彼の残した成果を理解し評価する必要があると考える。今回の発表では、数多い聞一多の古典研究の業績の中でも特に評価の高い詩経研究 を取り上げ、それが聞一多自身の研究史の中でどのような意味を持っていたのかを明らかにしたい。便宜上とり上げるのは一九二七年から一九三七年のほぼ十年 間に区切った。一九二七年というのは詩経に関する最初の論文「詩経の性欲観」が発表された年であり、一九三七年は、日中戦争の勃発により社会全体が戦争の 混乱に巻き込まれて行く中で、落ち着いた研究活動が続けられなくなると同時に、聞一多の興味の対象が詩経を通じて神話へと移って行く時期でもある。聞一多 の詩経に関する研究は、ほぼこの十年間に深められ、成果として発表されたと言って良いであろう。
 この十年間の聞一多の詩経研究の成果が、いかに斬新で優れたものであったかという事、そしてまた詩壇のリーダー的存在であった詩人が、詩作をやめて古典 研究に向かった背景に、どんな心境の変化があったのか、或いは無かったのかという事について、聞一多自身の研究業績、書信、そして周囲の回想から考えてみ た。詳細な内容は論文のかたちで発表する予定なので、ここでは関連年代についての年表と引用資料の題目を提示して、発表の要旨に代えたいと思う。

一九二五年五月  米国より帰国
    一一月  国立芸術専門学校
一九二六年四月  晨報『詩鐫』創刊
     九月  呉淞国立政治大学
一九二七年二月  国民革命軍北伐軍総政治部
         呉淞国立政治大学
     七月  ①「詩経的性欲観」(時事新報『学灯』)
     九月  南京第四中山大学
一九二八年一月  『死水』印行
    一〇月  武漢大学
一九二九年八月  游国恩、武漢大学中文系の講師になり楚辞を教える
    一一月  ②「荘子」(新月二-九)
一九三〇年四月  「杜少陵年譜会箋」(武漢大学『文哲季刊』一-一)
     六月  「学潮」により武漢大学文学部長を辞職
     九月  国立青島大学
   中国文学史・唐詩・名著選読を講義 シェクスピア翻訳 新詩「奇跡」
  一九三一年九月  ③「全唐詩人小伝」
               ④詩経研究の始まり
一九三二年七月  青島大学辞職
     八月  国立清華大学
     九月  先秦漢魏六朝詩・詩経・楚辞九歌を講義
一九三三年七月  ⑤「臧克家『烙印』序」
     九月  ⑥清華大学にもどってからずっと不機嫌だった一多
         ⑦詩経・楚辞・杜詩を講義
         詩経研究の著作を多く発表
         「風詩類鈔」(?)
         「詩経字典」の構想
一九三四年五月  「匡斎尺牘」(学文創刊号)
         ⑧「『芣苡』について」
     七月  「匡斎尺牘」続
         「『狼跋』について」
     九月  ⑨詩経の講義
      冬  ⑩張清常に金文で詩経を書くように勧める
一九三五年七月  「『詩・新台』「鴻」字説」(清華学報一〇-三)
         ⑪郭沫若の評
     九月  「巻耳」(『大公報』文芸副刊九期)
          古代神話研究
    一二月  一二,九運動 日本軍の侵入
一九三六年     楚辞関係の論文を多く発表
     五月  ⑫「『死水』的作者聞一多教授」
     七月  安陽で甲骨の発掘を見る 陳夢家、燕京大
         学大学院を卒業し、甲骨文研究家になる
一九三七年一月  「詩経新義(二南)」(清華学報一二-一)
     六月  国内休暇研究
         浠水で『詩経字典』にとりかかる予定
         ⑬臧克家の来訪
     七月  盧溝橋事件 抗日戦争開始

聞一多の詩経研究 関係資料
①「詩経的性欲観」(時事新報・学灯)
②「荘子」(新月二-九)
③聞一多の唐詩研究
④梁実秋『談聞一多』(台北 伝記文学出版社 一九六七年)
⑤臧克家『烙印』序 (『聞一多全集』第三巻)
⑥呉組緗・回憶(『聞一多年譜長編』四四二頁 一九八六年の訪問記録)
⑦熊佛西『悼聞一多先生―詩人・学者・民主的鼓手』(文芸復興 第二巻第一期 一九四六年)
⑧匡斎尺牘『芣苡』(学文・創刊号)
⑨『清華暑期週刊・教授印象記』
 王瑶「念聞一多先生」(『聞一多研究四十年』)
⑩張清常・回憶(書信)
⑪郭沫若『聞一多全集・序』
⑫野萍「『死水』的作者聞一多教授」(北平晨報副刊・紅緑)
聞黎明他篇『聞一多年譜長編』(湖北人民出版社一九九四年)
⑬臧克家「我的老師聞一多」(『人民英烈』一四〇頁)
梁実秋『談聞一多』


聞一多における花

江川 静英(青森大学)

花は古(いにしえ)より人とともにあり、常にその生活と深い関わりを持ち続けてきたといえます。人が生きているところに花があるというよりは、花のそばで人が生きてきたと言っても過言ではないでしょう。
 そして、その花を何らかの形で留めて置きたいという思いから、花の絵、花の彫刻、花の詩歌などが生まれてきたと考えられます。例えば、中国河南省陜県で 出土した、五千年前の仰韶文化の彩陶に花紋様が描かれています。また春秋時代の「詩経」の詩篇にも、比と興の手法で、生活や様々なところに花が表現されて います。このように、花と人々の生活との関係が密になると、自然に人々の思想や感情が花に注ぎ込まれるようになり、花が人々の生活と文化を融和させなが ら、花の文化が形成されるようになりました。
 中国文化の発展に伴い、花が絶えず文学作品の中に表現され、また、その時代の様々なできごとを的確に表現していることもあり、そのように各時代の特徴を 花に託して、詠み、讃え、惜しみ、恨みまた憧れなどの心情を表現しているのです。古から現代まで、花を詩の題材として比喩的にあるいはイメージ的に表現し た詩篇が数多くあります。
 聞一多は詩のイメージを非常に重視しています。一九二二年十一月に出版された「冬夜草児評論集」の中の「冬夜」についての彼の批評は、「作品のリズムは 良いが、イメージの表現に欠けている」また、詩ではその内容が非常に重要であり、具体的なイメージが必要であると述べています。つまり彼の詩篇は新鮮なイ メージと重厚な内容を持っていて彼が詩の主題として花、雨、雪、夜、星、月、太陽などを、好んでイメージ化して表現しています。ここでは、聞一多の詩に表 現されている「花」について述べてみます。聞一多の詩篇における花の主題の使い方には、大きく分けて二通りあります。一つは比喩的な使い方、もう一つはイ メージ的な使い方です。
 彼が用いた比喩的な表現には、印象的、深層的、装飾的な手法が俗化せず、新鮮でかつ優雅に表現されています。このような詩篇はおよそ二十一篇あります。
 花のイメージが主題となっている詩篇も九篇程あります。例として「失敗」「青之首章」「紅荷之魂」「紅豆・二一節」「紅豆・三十節」「花児開過了」「忘 掉她」「傷心」「憶菊」などです。これらの詩は、主題が花のイメージで表現され、詩意と詩情も非常に優雅です。そのなかで最も優れているのは、「憶菊」で ある。聞一多の詩篇の中で最も佳く花のイメージが表現されています。九月九日、重陽節の前日に詠んだこの詩には菊花が群生している様子、色彩や形状が美し く表現されています。「我要賛美我祖国底花、我要賛美我如花的祖国」(私は祖国の花を賛美し、私は花のような祖国を賛美します。)菊は中国の伝統的な花で す。彼がアメリカ留学中に書いたこの詩篇から、彼が菊の花に託した祖国にたいする思いを読み取ることができます。
 菊の花が中国の伝統的な花だと言われるようになったのは「礼記・月令篇」に「季秋之月、鞠(菊)有黄華(花)」が記載されています。当時の菊は晩秋に咲 く、黄色の小菊です。屈原の「離騒」に、「夕餐秋菊之落英」戦国時代の人々は、菊の食料としての価値を知っていたことが分かります。漢時代からは、菊の花 と人々の生活との関わりが益々密接になり、「本草経」に「菊花久服能軽身延年」(菊を続けて食用すると若さを保ち長寿できる)「西京雑記」に盛花の菊を酒 にひたし、翌年の九月九日に飲む酒は、「菊花酒」と言われています。重陽節に菊花酒を飲む習慣があったことが分かります。陶淵明の詩に「采菊東籬下、悠然 見南山」「秋菊有佳色」などの、菊を詠った名句から、庭に観賞するための菊を植えていたことが分かります。李商隠の詩に「暗暗淡淡紫、融融冶冶黄」白居易 の詩に「満園花菊郁金黄、中有孤叢色似霜」の名句から黄、白、紫など、菊の花の色が多彩になってきていることが分かります。宋の時代に菊花のコンクール (賽菊)、菊の観賞会(賞菊)などの催しが杭州や広東などで盛んに行われていることから、栽培や装飾の方法が向上し、それが現在も続けられています。
 詩歌に表現されている花の相は実に多彩です。また、花に託した人間の愛や思いは、時代を越えて伝えられています。同じ花でもその時代、その場に応じて様 々に姿を変え、意味を変えて読む人の心を打ち、ひと時もじっとしていることがありません。そして、その時々に最もふさわしい姿で、読む人の心に響きます。 詩の主題を花のイメージを通して、強調したいという聞一多の意図を汲みとることができます。

☆参考文献
一.江川静英〈談聞一多詩中花的意象〉荊州師範学院学報、一九九九年第六期
二.藍棣之編《聞一多詩全編》浙江文芸出版社、一九九五年十二月
三.周武忠《中国花卉文化》花城出版社、一九九二年四月
四.山中哲夫『花の詩史』大修館書店、一九九二年十一月
五.『月刊しにか』「特集花の文化史」大修館書店、一九九七年九月
六.その他

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